概要
壬辰倭乱・丁酉再乱の際、日本の各大名が朝鮮の陶工を連行。李参平(有田焼の祖)、沈壽官(薩摩焼の祖)ら数百人の陶工が日本各地で陶磁器生産を開始した。「焼き物戦争」とも呼ばれる。有田焼は伊万里港から輸出され、ヨーロッパでも珍重された。
歴史的背景
豊臣秀吉の朝鮮侵略の際、各大名は茶の湯文化の影響で朝鮮の優れた陶磁器技術に注目し、陶工を積極的に連行した。朝鮮の白磁・粉青沙器の技術が日本の土地で独自の発展を遂げた。
地形・地理的特徴
朝鮮半島南部の陶磁器産地から日本の九州各地に陶工が連行された。有田(佐賀県)、薩摩(鹿児島県)、萩(山口県)などが主要な定住地。有田の泉山で良質の磁石が発見されたことが日本初の磁器生産を可能にした。
歴史的重要性
日本の陶磁器産業の起源。有田焼・伊万里焼はヨーロッパの陶磁器(マイセンなど)にも影響を与え、世界の陶磁史に大きな足跡を残した。文化の強制移転という観点から、植民地主義研究の対象ともなっている。
参考文献
- 有田町史
- 朝鮮陶磁史