概要
豊臣秀吉が朝鮮に侵攻(日本側名称:文禄・慶長の役)。15万8千の日本軍は釜山上陸後わずか20日でソウルを占領。しかし李舜臣率いる朝鮮水軍が日本の補給路を遮断し、明の援軍も加わって戦況が逆転。1597年の丁酉再乱を経て1598年の秀吉の死で日本軍は撤退した。
歴史的背景
豊臣秀吉は国内統一後の軍事力を対外に向け、明征服の通路として朝鮮に道案内を要求。朝鮮が拒否したため侵攻を開始。朝鮮は200年の平和で軍事力が弱体化しており、初期の防衛に失敗した。
地形・地理的特徴
朝鮮半島は南北に長く、太白山脈が背骨のように走る。日本軍は釜山上陸後、主に西側の平野部を北上。李舜臣は南海岸のリアス式海岸と多島海の地形を巧みに利用し、狭い海峡での海戦で日本水軍を撃破した。
歴史的重要性
朝鮮半島を荒廃させた大戦争。人口の激減、農地の荒廃、文化財の焼失(仏国寺など)。陶工の連行は日本の陶磁器産業(有田焼、薩摩焼)を生んだ。明の参戦は明の国力を消耗させ、女真族の台頭と清の建国を促進した。東アジア国際秩序の転換点。
参考文献
- 朝鮮王朝実録
- 懲毖録
- 日本戦国史料