概要
1583年、羽柴秀吉と柴田勝家が信長の後継をめぐって激突。長期対陣の後、秀吉は美濃方面から急行して勝家軍を撃破。「賤ヶ岳の七本槍」(加藤清正・福島正則ら)の活躍が知られる。敗北した柴田勝家は北ノ庄城でお市の方とともに自刃した。
歴史的背景
清洲会議で秀吉と勝家の対立が決定的になっていた。織田信長の遺児をめぐる後継争いの中、秀吉は三法師(織田秀信)を擁立して大義名分を確保していた。
地形・地理的特徴
賤ヶ岳は琵琶湖北東部の余呉湖南方の低山(約421m)。湖と山に挟まれた戦場で、両軍は陣地を構え長期対陣ののち決戦に至った。秀吉は大垣から約50kmを1日で急行する「美濃大返し」で勝利を決した。
歴史的重要性
秀吉が織田家中の最大のライバルを排除し、天下人への道を確実にした。七本槍の活躍は豊臣政権の次世代を形成した。
参考文献
- 『太閤記』
- 『信長公記』