概要
織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼の騎馬軍団を設楽原で撃破。信長は約3000挺の鉄砲を三段に配置し、武田の騎馬突撃を壊滅させたとされる。武田軍は1万余の死者を出し、戦国最強と呼ばれた武田騎馬軍団は事実上壊滅。
歴史的背景
武田信玄の死後、子の勝頼は領土拡大を続けていたが、信長・家康との決戦に踏み切った。信長は鉄砲の集中運用で騎馬戦術を無力化する戦術革新を行った。
地形・地理的特徴
設楽原は三河国東部の狭い平野。信長は連吾川西岸に馬防柵を設置し、三段の鉄砲隊を配置。騎馬突撃に対する防御に最適な地形を利用した。
歴史的重要性
鉄砲による戦術革命を象徴する合戦。騎馬中心の中世的戦闘から火器中心の近世的戦闘への転換点。世界の軍事史上も注目される戦術的革新。
参考文献
- 『信長公記』