概要

ユグノー戦争の最中、カトリック勢力がパリに集まっていたプロテスタント(ユグノー)の指導者と市民を大量虐殺した。サン・バルテルミの祝日の早朝に始まった暴力は数日間続き、パリだけで約3000人、フランス全土で推定5000〜3万人が殺害された。ユグノーの指導者コリニー提督が最初の犠牲者の一人。

歴史的背景

ユグノーの指導者ナバラ王アンリとカトリックのマルグリット王女の結婚式(8月18日)のためにユグノー貴族がパリに集結していた。カトリーヌ・ド・メディシス(太后)とギーズ公がユグノー指導者の暗殺を企て、カール9世の承認を得た。

地形・地理的特徴

パリのルーヴル宮殿周辺から虐殺が始まり、市内全域に拡大した。セーヌ川には遺体が投げ込まれた。パリの狭い路地と密集した建物が逃亡を困難にし、虐殺の規模を拡大させた。暴力は数週間にわたり地方都市にも波及した。

歴史的重要性

宗教戦争の残虐さを象徴する事件であり、ヨーロッパ全体に衝撃を与えた。宗教的寛容の議論を促進し、最終的にナントの勅令(1598年)による宗教共存への道を開いた。プロテスタント諸国では反カトリック感情が深まった。

参考文献

  • アルレット・ジュアンナ『サン・バルテルミの虐殺』
  • バーバラ・ディーフェンドルフ『聖戦の下に』