概要
フランシスコ・ピサロが約168人のスペイン兵でインカ皇帝アタワルパを捕えた事件。1532年11月16日、カハマルカの広場でアタワルパと会見。聖書を手渡されたアタワルパがそれを投げ捨てたことを口実にスペイン軍が奇襲攻撃をかけ、わずか2時間で数千人のインカ兵を殺害しアタワルパを捕虜にした。アタワルパは部屋一杯の金銀の身代金を提出したが、1533年7月に異端の罪で処刑された。
歴史的背景
インカ帝国はワイナ・カパックの死後、ワスカルとアタワルパの兄弟間の内戦で弱体化していた。ピサロの到着はアタワルパがワスカルに勝利した直後であった。スペイン人に先行して天然痘がインカ帝国に到達しており、ワイナ・カパック自身も天然痘で死亡した可能性がある。
地形・地理的特徴
ペルー北部のカハマルカはアンデス高原の盆地(標高約2750m)に位置し、温泉が湧く開けた谷間であった。アタワルパの軍勢は谷を見下ろす斜面に、ピサロのスペイン軍は市街の建物に隠れて待ち伏せした。高地の薄い空気はスペイン兵を苦しめたが、馬と火器の衝撃は絶大であった。
歴史的重要性
南北アメリカ最大の帝国の征服であり、アンデス文明の終焉をもたらした。ポトシ銀山などの莫大な銀がスペインを通じてヨーロッパ経済と世界経済を根本的に変容させた。少数のスペイン兵が巨大帝国を征服した過程は軍事史・文明論の重要な研究対象。
参考文献
- Hemming, The Conquest of the Incas
- Prescott, History of the Conquest of Peru