概要
オスマン帝国のセリム1世がマムルーク朝を滅ぼしエジプトを征服。1516年のマルジュ・ダービクの戦い(シリア)と1517年のリダーニヤの戦い(エジプト)でマムルーク軍を火器の優位により撃破。最後のマムルーク・スルタン、トゥーマーンバーイはカイロ市門で絞首刑に処された。
歴史的背景
マムルーク朝は火器の導入に消極的で、騎兵を中心とする伝統的戦術に固執していた。一方オスマン帝国は大砲と鉄砲を効果的に運用する軍事技術を発展させていた。サファヴィー朝ペルシアとの対立もオスマンのエジプト進出の動機となった。
地形・地理的特徴
オスマン軍はシナイ砂漠を越えてエジプトに侵入。1517年1月のリダーニヤの戦いはカイロ北東の平野で行われた。マムルーク軍の騎兵戦術に対し、オスマン軍は火器(大砲と鉄砲)の優位で圧倒。ナイル渓谷の直線的な地理が迅速な進軍を可能にした。
歴史的重要性
約260年続いたマムルーク朝の終焉。エジプトは以後約300年間オスマン帝国の属州となる。セリム1世はアッバース朝の末裔カリフからカリフの称号を継承したとされ(異説あり)、オスマンのスンニ派世界における正統性が強化された。
参考文献
- Petry, C.F., 'Twilight of Majesty: The Reigns of the Mamluk Sultans'
- Winter, M., 'Egyptian Society Under Ottoman Rule'