概要
朝鮮前期に4度にわたって新興の士林派が勲旧派により大量粛清された事件。戊午士禍(1498年)、甲子士禍(1504年)、己卯士禍(1519年、趙光祖の粛清)、乙巳士禍(1545年)。しかし士林派は地方の書院を拠点に勢力を回復し、16世紀後半には朝廷を支配する主流派となった。
歴史的背景
朝鮮建国に功績のある勲旧派と、地方で性理学を学び中央に進出した新興の士林派の権力闘争。士林派は朝鮮の理想をより純粋な儒教国家に求め、勲旧派の既得権益を批判した。
地形・地理的特徴
漢陽の宮城と六曹通りが政治闘争の舞台。狭い宮廷空間での権力闘争が、全国の士林(在地儒者)に波及する構造であった。
歴史的重要性
朝鮮の政治文化の基本パターンを形成。士林派の最終的勝利は書院文化と朋党政治の定着につながった。趙光祖の改革理念は後世の朝鮮知識人の模範となり、「道学政治」の理想を確立した。
参考文献
- 朝鮮王朝実録