概要

土木の変で英宗が捕虜となった危機の中、兵部尚書・于謙が北京遷都論を退け防衛を主張。景泰帝を擁立し、オイラト軍の北京攻囲を撃退。英宗帰還後の「奪門の変」で于謙は冤罪で処刑された。

歴史的背景

土木の変で明軍の精鋭と文武百官が失われ、首都放棄論が出た。于謙は「京師は天下の根本、一たび動けば大事は去る」と主張し、残存兵力で防衛体制を構築。

地形・地理的特徴

北京城は周囲約24kmの城壁に囲まれた都城。オイラト軍は英宗を人質に北京に迫ったが、于謙は9門の防衛を固めて北京攻囲を撃退した。

歴史的重要性

明を滅亡の危機から救った英雄。岳飛と並ぶ忠臣として後世に称えられる。冤罪での処刑は明の政治的悲劇の象徴。

参考文献

  • 『明史』于謙伝
  • 『明英宗実録』