概要

ポーランド・リトアニア連合軍がチュートン騎士団を決定的に撃破した中世最大級の会戦。ポーランド王ヴワディスワフ2世ヤギェウォとリトアニア大公ヴィータウタスが約3万9千の連合軍を率い、チュートン騎士団総長ウルリヒ・フォン・ユンギンゲン以下約2万7千の軍を壊滅させた。総長は戦死。

歴史的背景

チュートン騎士団は13世紀以来バルト海沿岸の異教徒征服(北方十字軍)を進め、プロイセンに強力な国家を建設していた。1386年のポーランド・リトアニア合同(クレヴォの合同)で両国が連合し、騎士団との対立が激化した。

地形・地理的特徴

マズーリ地方の丘陵・森林地帯。グルンヴァルト村近くの開けた平原が戦場となった。7月の暑さの中、両軍合計約6万の兵が激突した。湿地帯がチュートン騎士団の重騎兵の機動を制約した。

歴史的重要性

チュートン騎士団国の軍事的覇権を終焉させ、ポーランド・リトアニア連合国がバルト海地域の覇者となった。ポーランドとリトアニアの民族的アイデンティティの象徴的事件であり、特にポーランドでは国民的英雄譚として語り継がれる。

参考文献

  • ヤン・ドウゴシュ『ポーランド史』
  • スヴェン・エクダール『タンネンベルクの戦い』