概要

永楽帝が自ら大軍を率いてモンゴル諸部族を5度討伐。オイラト・タタールの勢力を一時的に圧倒したが、遊牧民の機動力に完全な勝利は得られず。1424年、第5次遠征の帰路に楡木川で崩御。

歴史的背景

北京遷都の最大の理由が北方防衛であり、永楽帝は積極的攻勢でモンゴルの脅威を排除しようとした。しかし遊牧民の「逃げて追わせる」戦術に苦しんだ。

地形・地理的特徴

永楽帝は北京を拠点にモンゴル高原深くまで5度にわたり親征。ゴビ砂漠を越える過酷な遠征で、補給線の維持が最大の課題。第5次遠征の帰路で永楽帝は陣没。

歴史的重要性

明の対モンゴル積極策の頂点にして限界。永楽帝以降、明は防衛的姿勢に転じ万里の長城の改修に専念。土木の変(1449年)で守勢が決定的に。

参考文献

  • 『明史』成祖紀
  • 『明太宗実録』