概要
中央アジアのティムール帝国の創始者ティムールがデリーを攻略・略奪した。トゥグルク朝のスルタン・マフムードの軍を撃破し、デリーに入城。3日間にわたる大規模な略奪・虐殺が行われ、数万人が殺害された。莫大な財宝と数千人の職人をサマルカンドに連行した。
歴史的背景
トゥグルク朝末期のデリー・スルタン朝は著しく弱体化していた。ティムールは名目上イスラムの聖戦を掲げたが、実際にはデリーの富を狙った遠征であった。ティムール軍の通過地域では壊滅的な破壊がもたらされた。
地形・地理的特徴
ティムール軍はカイバル峠を越えてパンジャーブ平原に進入し、デリーに至った。冬季の侵攻は中央アジアの騎兵にとって温暖な気候が有利に働き、トゥグルク朝の戦象部隊に対しては火計を用いて対抗した。
歴史的重要性
デリー・スルタン朝に壊滅的打撃を与え、トゥグルク朝の実質的な終焉を招いた。デリーは数十年間荒廃し、北インドの政治的分裂が加速。ティムールの子孫バーブルが後にムガル帝国を建国する伏線となった。
参考文献
- Beatrice Forbes Manz, The Rise and Rule of Tamerlane, 1989
- Justin Marozzi, Tamerlane: Sword of Islam, 2004