概要
黒死病と百年戦争の二重苦に喘ぐフランス北部の農民が、ギヨーム・カールに率いられて蜂起した。貴族の城館が襲撃・焼き討ちされ、領主一家が殺害される暴力的反乱が約2週間続いた。パリの反乱指導者エティエンヌ・マルセルとも一時連携したが、ナバラ王シャルルの策略で鎮圧された。
歴史的背景
ポワティエの戦い(1356年)でフランス王ジャン2世が捕虜となり、巨額の身代金と停戦中の傭兵団(フリー・カンパニー)の略奪が農民を圧迫。黒死病後の人口減少にもかかわらず領主は重税を課し続け、農民の不満が爆発した。
地形・地理的特徴
パリ北方のボーヴェジ地方とイル・ド・フランスの農村地帯で発生。百年戦争の戦場となった北フランスの平野部は繰り返し軍隊の通過と略奪に苦しんでおり、農村の荒廃が反乱の物理的背景を形成した。
歴史的重要性
中世ヨーロッパにおける最初期の大規模農民反乱。封建制の矛盾を顕在化させ、領主と農民の関係の変容を促した。「ジャックリー」の名は以後農民反乱の一般名称となった。
参考文献
- ジャン・フロワサール『年代記』
- サミュエル・K・コーン『民衆反乱』