概要
マムルーク朝はアイン・ジャールートの勝利後、エジプトとシリアを統一支配した。奴隷出身の軍人(マムルーク)が支配階級を構成する独特の体制で、スルタン位は実力主義で継承された。1291年にアッコを陥落させて十字軍を完全に追放。カイロはバグダッド陥落後のイスラム世界の文化的中心となった。
歴史的背景
アイユーブ朝のマムルーク軍団が主人を殺害してスルタン位を簒奪したのが始まり。テュルク系マムルーク(バフリー・マムルーク朝)からチェルケス系(ブルジー・マムルーク朝)へ移行した。
地形・地理的特徴
カイロはナイル川デルタの頂点に位置し、地中海と上エジプトを結ぶ交通の要衝。マムルーク朝はシタデル(城塞)を行政の中心とし、壮大なモスクとマドラサを建設した。
歴史的重要性
マムルーク朝は十字軍とモンゴルの二大脅威からイスラム世界を防衛し、約260年間にわたる安定をもたらした。カイロの建築遺産(スルタン・ハサン・モスクなど)は世界的に重要。
参考文献
- The Cambridge History of Egypt Vol.1
- Mamluk Cairo (D. Behrens-Abouseif)