概要

バトゥ率いるモンゴル軍(約15万)がルーシ諸公国を次々に征服。リャザン(1237年12月)、ウラジーミル(1238年2月)が陥落し、1240年12月にはキエフが壊滅的破壊を受けた。ルーシの諸都市は略奪・破壊され、人口の大幅な減少をもたらした。スズダリ大公ユーリー2世はシチ川の戦いで戦死。

歴史的背景

1223年のカルカ河畔の戦いでルーシ・キプチャク連合軍がモンゴルに大敗した前例があったにもかかわらず、ルーシ諸公国は分裂状態にあり、統一的な防衛態勢を取れなかった。チンギス・ハンの孫バトゥが西方遠征を指揮した。

地形・地理的特徴

東ヨーロッパの広大なステップと森林地帯を舞台とした征服。冬季に凍結した河川がモンゴル騎兵の進軍路となり、通常は防壁となる大河がモンゴル軍に有利に作用した。ルーシの木造城塞はモンゴルの攻城技術に対して脆弱であった。

歴史的重要性

約240年にわたる「タタールのくびき」の始まり。ルーシ諸公国はキプチャク・ハン国(金帳汗国)の属国となり、貢納を強いられた。モスクワ大公国がモンゴルの徴税代理人として台頭する契機となり、ロシアの専制政治の基盤が形成された。

参考文献

  • 『原初年代記続編』
  • チャールズ・ハルペリン『タタールのくびきのロシア』