概要
1183年、木曾義仲が平維盛率いる平氏追討軍約10万を倶利伽羅峠で大破。夜襲と地形を利用した戦術で、平氏軍は谷底に追い落とされて壊滅的敗北を喫した。火牛の計の伝承は後世の脚色とされるが、地形を利用した巧みな戦術であったことは確か。この勝利で義仲は京都への道を開いた。
歴史的背景
以仁王の令旨を受けて各地で源氏が挙兵する中、信濃国で旗揚げした木曾義仲は北陸道を進軍した。平氏は大軍を派遣して鎮圧を図ったが、北陸の地理に不案内であった。義仲軍は地元民の支持を得て地の利を活かした。
地形・地理的特徴
倶利伽羅峠は加賀国と越中国の国境に位置する山間の隘路。砺波山の尾根上の狭い峠道は、大軍の展開に不向きであった。木曾義仲は牛の角に松明を結び平氏の大軍に突入させる「火牛の計」を用いたとされる。
歴史的重要性
平氏政権の軍事的崩壊の始まりを告げる決定的な敗北。義仲はこの勝利で京都に入り、平氏を西へ追いやった。しかし義仲の京都での乱暴が不評を買い、やがて源頼朝に滅ぼされることになる。
参考文献
- 『平家物語』
- 『源平盛衰記』