概要
1177年、後白河法皇の近臣である俊寛・藤原成親・西光らが、京都東山の鹿ヶ谷の俊寛の山荘で平氏打倒を密議した。しかし多田行綱の密告で計画が露見し、平清盛は関係者を厳しく処罰。西光は処刑、成親は配流先で殺害、俊寛は鬼界ヶ島に流罪となった。
歴史的背景
平清盛と後白河法皇の関係が悪化する中、法皇側近が平氏打倒を企てた。清盛の権力独占への不満が院近臣の間に広がっていた。しかし計画は具体性に乏しく、密談段階で露見した。
地形・地理的特徴
鹿ヶ谷は京都東山の山中の僧坊で、俊寛の山荘があった。市中から離れた山間の隠れ家で密議が行われたが、密告によって露見した。東山の山林は密談に適した隠密性を持つ一方、発覚すれば逃げ場のない場所でもあった。
歴史的重要性
平氏と院との対立が決定的になる契機。俊寛の鬼界ヶ島流罪は『平家物語』の名場面として知られ、能「俊寛」としても演じられている。平清盛の強権的支配と反平氏勢力の芽生えを示す事件。
参考文献
- 『平家物語』
- 『玉葉』九条兼実