概要

源義朝と藤原信頼が後白河上皇の院御所・三条殿を襲撃し、信西(藤原通憲)を殺害。しかし熊野参詣中から帰京した平清盛が反撃し、義朝軍を撃破。義朝は敗走中に殺害され、幼い頼朝は伊豆に配流された。

歴史的背景

保元の乱後、平清盛と源義朝の対立が激化。院政の実権をめぐる藤原信西と藤原信頼の争いも絡み、武力衝突に至った。

地形・地理的特徴

平安京内。三条殿への夜襲と六波羅への攻防が展開。平清盛不在の隙を突いた源義朝のクーデターであったが、帰京した清盛に逆転された。

歴史的重要性

源氏が壊滅し、平清盛が武家の棟梁として絶対的権力を確立。しかし配流された頼朝が後に挙兵し平氏を滅ぼすことになる。源平合戦の遠因。

参考文献

  • 『平治物語』
  • 『愚管抄』