概要

ガズナ朝のスルタン・マフムードが紀元1001年から1027年にかけてインドに17回の侵攻を繰り返した。ヒンドゥー寺院の略奪を目的とし、1025年のソムナート寺院の破壊は最も有名。莫大な財宝をガズナに持ち帰り、その富でガズナを壮麗な都市に変貌させた。パンジャーブを恒久的に領有した。

歴史的背景

ガズナ朝はアフガニスタンを拠点とするチュルク系イスラム王朝で、マフムードはアッバース朝カリフからスルタンの称号を得て正統性を確保。インドの富裕な寺院は格好の略奪対象であり、ジハード(聖戦)の名目で侵攻が正当化された。

地形・地理的特徴

カイバル峠とボーラン峠を経由してアフガニスタンからインド北西部に侵入。パンジャーブ平原は騎兵の機動に適し、防御側のラージプート諸王国は山地の防衛線を構築できなかった。

歴史的重要性

南アジアにおけるイスラム支配の端緒となった事件。パンジャーブの永続的なイスラム化をもたらし、その後のゴール朝・デリー・スルタン朝への道を開いた。ソムナート寺院の破壊はヒンドゥー・ムスリム関係の象徴的事件として現代まで政治的に利用されている。

参考文献

  • C.E. Bosworth, The Ghaznavids, 1963
  • André Wink, Al-Hind: The Making of the Indo-Islamic World, 1990