概要

高麗第4代王・光宗が後周からの帰化人・双冀の建議を受けて科挙制度を導入。製述業(文章)・明経業(儒教経典)・雑業(技術)の三科を設け、家柄によらない人材登用の道を開いた。これにより新興文臣層が台頭し、豪族連合政権から官僚制国家への転換が進んだ。

歴史的背景

建国以来、高麗は豪族連合政権の性格が強く、地方豪族の勢力が王権を制約していた。光宗は奴婢按検法(956年)で豪族の労働力を削減し、科挙制度で新たな官僚層を育成して王権を強化した。

地形・地理的特徴

開京の王宮を中心とした行政区域。科挙試験場は宮城内に設けられ、全国から受験者が集まった。開京への道路網の整備が地方からの受験を可能にした。

歴史的重要性

朝鮮半島に科挙制度を定着させた画期的事件。以後、朝鮮王朝を通じて約900年間、科挙は官僚選抜の中心的制度であり続けた。学問的能力に基づく社会的上昇の道を開き、儒教的教養の普及を促進した。

参考文献

  • 高麗史
  • 高麗史節要