概要

東フランク王オットー1世がアウクスブルク近郊でマジャール(ハンガリー)の大軍を決定的に撃破した。ドイツ各地から集結した約8000の重装騎兵が、マジャール騎兵の背面攻撃を退けた後に総反撃を行い、マジャール軍を壊滅させた。捕虜となったマジャールの指揮官3人は処刑された。

歴史的背景

899年以降、マジャール人は中央ヨーロッパ各地で大規模な襲撃を繰り返し、修道院や都市を破壊していた。955年にはアウクスブルクを包囲攻撃し、オットーがドイツ全軍を動員して救援に向かった。

地形・地理的特徴

アウクスブルク南方のレヒ川沿いの平原。マジャール騎兵にとっては開けた地形が有利に見えたが、オットーは川と森林を利用して側面を防護し、重装騎兵の衝撃力を活かした。8月の暑さの中での激戦となった。

歴史的重要性

マジャール人のヨーロッパ襲撃を終結させ、オットーは「大帝」の称号を得た。962年の神聖ローマ帝国成立への道を開き、マジャール人はパンノニア平原に定住してキリスト教に改宗、ハンガリー王国を建国した。

参考文献

  • ヴィドゥキント『ザクセン人の事績』
  • ゲルト・アルトホフ『オットー朝』