概要
伊予掾であった藤原純友が瀬戸内海の海賊を率いて反乱を起こし、940年には大宰府を襲撃・焼討した。朝廷は小野好古・源経基らを追討使として派遣。941年に純友は博多湾で敗北し、伊予で捕らえられた。平将門の乱とほぼ同時期に発生し、「承平天慶の乱」と総称される。
歴史的背景
律令体制の弛緩に伴い、地方の治安が悪化していた。瀬戸内海の海賊は荘園の年貢輸送を襲撃し、受領の搾取に苦しむ地方民の不満と結びついた。純友自身は伊予国の国司の下級官僚であったが、海賊の統率者に転じた経緯は不明な点が多い。
地形・地理的特徴
瀬戸内海は多島海で、無数の島々と複雑な潮流が海賊活動に適していた。伊予国(愛媛県)の日振島を拠点とした純友は、大宰府をも襲撃するなど九州にも勢力を拡大した。海上交通の要衝を押さえることで朝廷の物流を脅かした。
歴史的重要性
平将門の乱とともに、律令国家の地方支配の限界を示した。武力による秩序維持の必要性が認識され、武士階層の社会的価値が上昇した。瀬戸内海の海上治安問題は、のちの水軍の発展や平清盛の海上交易政策にもつながる。
参考文献
- 『日本紀略』
- 『扶桑略記』