概要
蝦夷出身の伊治郡大領・呰麻呂が反乱を起こし、按察使・紀広純を殺害。多賀城を焼き討ちした。律令国家の東北支配に対する蝦夷の大規模な抵抗であり、朝廷は征夷体制の再構築を迫られた。
歴史的背景
律令国家は城柵を北進させて蝦夷地域への支配を拡大していたが、蝦夷に対する差別的な支配が反発を招いていた。呰麻呂は蝦夷でありながら律令官人として登用されていた人物。
地形・地理的特徴
陸奥国伊治城(宮城県栗原市付近)。奥羽山脈の東麓、北上川上流域の山間部に位置し、蝦夷と律令国家の勢力圏の境界線上にあった。
歴史的重要性
奈良時代末期の東北経営の危機を象徴する事件。この後、坂上田村麻呂らによる大規模な征夷事業が展開される契機となった。律令国家の辺境支配の問題点を露呈。
参考文献
- 『続日本紀』光仁天皇紀