概要

唐帝国の高仙芝将軍率いる軍勢がアッバース朝の将軍ズィヤード・イブン・サーリフの軍に敗北した戦い。カルルク族の裏切りが唐軍の敗因とされる。唐の中央アジアへの進出が頓挫し、以後イスラム勢力が中央アジアを支配。捕虜の中国人職人から製紙技術がイスラム世界に伝播した。

歴史的背景

唐は高句麗征服後に西方への拡大を進め、中央アジアにおけるアッバース朝との勢力圏が接触した。タシュケントの支配をめぐる紛争が直接の引き金。安史の乱(755年)の4年前であり、唐の対外膨張の最後の局面であった。

地形・地理的特徴

タラス川流域(現カザフスタン・キルギス国境付近)の平原。天山山脈北麓の草原地帯で、東西の勢力圏が接する境界地帯であった。

歴史的重要性

東アジアと西アジアの二大帝国が直接衝突した稀有な事件。中央アジアのイスラム化を決定づけ、製紙技術の西伝は世界文明史における最も重要な技術移転の一つ。紙の普及がイスラム学問の黄金時代を支えた。

参考文献

  • Christoph Baumer, The History of Central Asia, Vol. 2, 2014
  • H.A.R. Gibb, The Arab Conquests in Central Asia, 1923