概要
藤原広嗣の乱をきっかけに聖武天皇が平城京を離れ、恭仁京(740年)→紫香楽宮(742年)→難波宮(744年)→平城京(745年)と約5年間都を転々とした。大仏造立は当初紫香楽宮で進められたが、山火事や地震で断念。
歴史的背景
藤原広嗣の乱に加え、天然痘の大流行、政治的不安定、天変地異が続き、聖武天皇は平城京に災厄の原因があると考えた。仏教的な浄土を求める信仰心も遷都の動機。
地形・地理的特徴
恭仁京は山城国相楽郡(京都府木津川市)、紫香楽宮は近江国甲賀郡(滋賀県甲賀市)。いずれも平城京から離れた山間部で、政治的混乱からの避難先としての性格を持つ。
歴史的重要性
奈良時代中期の政治的混乱を象徴する出来事。この「彷徨」の中で国分寺建立詔と大仏造立の発願がなされ、仏教による国家鎮護という方針が確立された。
参考文献
- 『続日本紀』聖武天皇紀