概要
藤原宇合の子・広嗣が大宰府で挙兵。玄昉・吉備真備の排除と政治改革を要求したが、朝廷軍に鎮圧され処刑された。聖武天皇はこの乱を契機に平城京を離れ、恭仁京・紫香楽宮・難波京と転々とした(彷徨五年)。
歴史的背景
藤原四兄弟の死後、橘諸兄が実権を握り、唐帰りの吉備真備・玄昉が重用された。藤原氏の立場が後退したことに不満を持つ広嗣が反乱を起こした。
地形・地理的特徴
大宰府(福岡県太宰府市)は九州統治と大陸外交の拠点。藤原広嗣は大宰少弐として赴任中に挙兵。九州から畿内への進軍は瀬戸内海ルートを想定していた。
歴史的重要性
奈良時代中期の政治的不安定さを象徴する事件。聖武天皇の彷徨は平城京の政治的・呪術的問題を反映し、国分寺建立・大仏造立の直接的契機となった。
参考文献
- 『続日本紀』聖武天皇紀