概要
735年に新羅帰りの遣新羅使一行から北九州で天然痘が発生。大宰府から東進し、737年に畿内で猛威を振るった。朝廷高官の多くが死亡し、全国の人口の25〜35%が失われたと推定される。班田制の基盤が崩壊し、律令体制に深刻な打撃。
歴史的背景
天然痘は日本では新興感染症であり、免疫のない住民は大規模に罹患した。疫病は駅路・水運を通じた人の移動に沿って急速に拡散した。
地形・地理的特徴
大宰府から畿内へ、さらに東国へと駅路に沿って拡大。人口密集地の平城京と、人の移動が集中する駅路沿いが特に被害が甚大であった。
歴史的重要性
日本史上最大級のパンデミック。労働力の激減は荘園制の発展を促し、律令体制の変質を加速。聖武天皇の仏教傾倒と大仏造立の直接的契機となった。
参考文献
- 『続日本紀』
- 富士川游『日本疾病史』