概要

レオン3世がイコン(聖画像)崇拝を偶像崇拝として禁止し、帝国全土で聖像の破壊を命じた。以後約120年にわたり、イコン破壊派(イコノクラスト)とイコン擁護派が激しく対立。787年のニカイア第2公会議でイコン崇拝が一時回復されたが、再び禁止され、843年に最終的にイコン崇拝が復活した。

歴史的背景

イスラム教の偶像崇拝禁止の影響、軍事的挫折への神学的解釈、修道院の富と影響力に対する皇帝の警戒など、複合的要因が論争の背景にあった。イコン破壊令は教皇との関係悪化をもたらし、東西教会分裂の遠因となった。

地形・地理的特徴

コンスタンティノープルの皇帝宮殿と総主教座聖堂を中心に展開された論争。帝国東部のアナトリアではイコン破壊派が強く、ギリシャ本土やイタリアではイコン擁護派が優勢であった。この地域差は帝国の社会構造の違いを反映していた。

歴史的重要性

東西キリスト教の文化的分岐を決定づけた論争。正教会のイコン神学が確立され、イコンは「色彩の神学」として正教の本質的要素となった。843年の「正統の勝利」は正教会の祝日として現在も祝われる。

参考文献

  • ダマスコのヨハネス『聖像論』
  • レスリー・ブルーベーカー『ビザンツのイコノクラスム』