概要
唐の李勣率いる大軍と新羅軍の合同攻撃により平壌が陥落。宝蔵王が降伏し、約700年の高句麗は滅亡した。淵蓋蘇文の死後(666年)、その子たちの間の内紛が滅亡を決定的にした。高句麗遺民は後に渤海を建国することになる。
歴史的背景
隋の煬帝は3度にわたる遠征に失敗(612-614年)し隋の滅亡の一因となった。唐の太宗も645年に親征したが安市城で敗退。唐は戦略を変え、百済を先に滅ぼして高句麗を南北から挟撃する方針をとった。
地形・地理的特徴
平壌城は大同江の両岸に築かれた大城郭であったが、長期の包囲戦と内部分裂により陥落した。鴨緑江から平壌に至る補給路を唐軍に遮断され、外部からの救援が途絶えたことが致命的であった。
歴史的重要性
約700年続いた東北アジアの大国の消滅。高句麗の滅亡は東アジアの国際秩序を根本的に変えた。高句麗の遺産は渤海に継承され、高句麗の帰属をめぐる歴史認識問題は現代の韓中関係にも影響を与えている。
参考文献
- 三国史記
- 旧唐書
- 新唐書