概要

百済復興軍を支援するため渡海した日本(倭国)の水軍約4万が、唐・新羅連合軍と白村江で激突し大敗した。日本の船400余隻が焼かれ壊滅的な打撃を受けた。この敗戦により日本は朝鮮半島への軍事介入を完全に断念した。

歴史的背景

百済滅亡後、百済遺臣の鬼室福信らが復興運動を展開し、日本に人質として送られていた百済王子・扶余豊璋を擁立。日本の中大兄皇子(後の天智天皇)は大規模な援軍を派遣したが、百済復興軍の内部分裂もあり劣勢であった。

地形・地理的特徴

錦江が黄海に注ぐ河口付近。干満差の大きい黄海沿岸の浅い海域で、潮の満ち引きが戦闘に大きく影響した。唐水軍は上げ潮を利用して優位に立ち、日本の船団は狭い河口で密集し、火攻めの格好の標的となった。

歴史的重要性

古代東アジア国際秩序を決定づけた海戦。日本は対外的危機感から国防を強化し(水城・大野城の築造)、律令国家建設を加速させた。朝鮮半島の勢力図が確定し、新羅の統一への道が開かれた。

参考文献

  • 日本書紀
  • 三国史記
  • 旧唐書