概要

隋の煬帝は113万の大軍で高句麗に親征したが、乙支文徳の戦略により薩水で壊滅的敗北を喫した。渡河した隋軍30万5千のうち生還者はわずか2,700人と伝えられる。煬帝は3度(612・613・614年)遠征を試みたがすべて失敗し、この遠征の疲弊が隋滅亡の主因となった。

歴史的背景

高句麗は6世紀後半から国境要塞の千里長城を築き、中国との全面戦争に備えていた。煬帝は大運河建設と並ぶ国家事業として高句麗征服を企図したが、過度の動員が国内の反乱を招いた。

地形・地理的特徴

遼河と鴨緑江の間の広大な平原と山岳地帯。隋の大軍は遼河渡河に苦戦し、長い補給線が弱点となった。薩水(清川江)では高句麗の乙支文徳が偽装退却で隋軍を深く誘い込み、渡河中に水攻めで壊滅させた。

歴史的重要性

東アジア史の転換点。隋の滅亡を早め、唐の建国へとつながった。乙支文徳は韓国史上最高の名将とされ、その詩「遺薩水」は朝鮮文学最古の漢詩として知られる。韓国軍の乙支部隊の名称はこれに由来する。

参考文献

  • 三国史記
  • 隋書