概要

煬帝は3度にわたり高句麗に遠征。第1次(612年)は113万と号する大軍を動員したが、薩水(清川江)の大敗で30万の兵を失った。第2次・第3次も失敗に終わり、国力の消耗と民衆の離反を招いた。

歴史的背景

高句麗は遼東から朝鮮半島北部を支配する強国で、隋の東北辺境の脅威だった。煬帝は大運河完成後の国力を過信し、大規模遠征を敢行したが、高句麗の乙支文徳らの巧みな防衛戦に阻まれた。

地形・地理的特徴

遼東の大河(遼河)渡河、朝鮮半島北部の山岳地形が隋軍の大軍の展開を困難にした。補給線は涿郡から1000km以上に伸び、兵站維持が最大の課題であった。

歴史的重要性

隋滅亡の直接的原因。過度な動員への不満から各地で反乱が勃発し、618年に隋は滅亡。高句麗遠征の失敗は後の唐太宗にも影響を与え、対高句麗政策の教訓となった。

参考文献

  • 『隋書』煬帝紀
  • 『三国史記』