概要

推古天皇15年、小野妹子が遣隋使として隋に派遣された。国書に「日出処天子致書日没処天子」と記し、隋の煬帝を怒らせたと『隋書』に記録される。翌年、隋の裴世清が答礼使として来日。対等外交を志向した画期的な外交行動。

歴史的背景

聖徳太子の主導のもと、隋との国交樹立を目指した。600年の第1回遣隋使に続く第2回で、隋に対して対等な立場を主張する国書を送った。

地形・地理的特徴

難波津から出航し、瀬戸内海を経て北九州から東シナ海を渡る航路。季節風を利用した航海で、遭難の危険が常に伴った。隋の都・大興城(長安)まで数ヶ月の旅程。

歴史的重要性

冊封関係を前提としない対等外交を東アジアで初めて試みた。隋との文化交流を通じて律令制度・仏教・学問を積極的に摂取し、飛鳥時代の改革の知的基盤を形成した。

参考文献

  • 『隋書』倭国伝
  • 『日本書紀』推古天皇紀