概要

東魏から梁に亡命した侯景が反乱を起こし建康を攻略。梁の武帝を幽閉して餓死させた。侯景は漢帝を称したが552年に陳覇先らに討伐された。建康は壊滅的被害を受け、南朝の国力は決定的に衰退。

歴史的背景

梁の武帝は仏教に傾倒し晩年は政治を顧みなかった。侯景を受け入れたのは北朝への対抗策だったが、武帝の判断ミスと皇族間の不和が反乱を大規模化させた。

地形・地理的特徴

建康は長江南岸の大都市で、人口100万を超えたとされる。侯景は長江渡河に成功し建康を包囲。城内は飢餓に陥り、壮麗な都城は灰燼に帰した。

歴史的重要性

南朝の実質的終焉をもたらした大乱。建康の破壊は江南経済に深刻な打撃を与えた。陳覇先の陳建国は南朝最後の王朝となり、隋による南北統一が近づく。

参考文献

  • 『梁書』侯景伝
  • 『資治通鑑』