概要

高句麗第20代王・長寿王が国内城(現在の中国吉林省集安)から平壌に都を移した。これは高句麗の国家戦略が満州から朝鮮半島に重心を移したことを示す。長寿王は在位79年(413-491年)と朝鮮史上最長在位を記録し、高句麗の最盛期を現出した。

歴史的背景

広開土大王の征服により高句麗の領域が大幅に拡大し、山岳地帯の国内城では広大な領土の統治が困難になった。南方の百済・新羅に対する圧力を強化する戦略的判断でもあった。

地形・地理的特徴

大同江流域の広大な平野部。国内城(集安)の山岳地帯から大同江沿いの平坦地への遷都は、農業生産力の拡大と南進政策の推進を目的とした。平壌は大同江の水運を利用でき、朝鮮半島中部への進出に有利な位置にあった。

歴史的重要性

高句麗の国家的性格を根本的に変えた決定。以後240年間、平壌が高句麗の首都として機能した。百済は首都漢城を失い(475年)南方の熊津に遷都を余儀なくされた。朝鮮半島の勢力図を大きく塗り替えた。

参考文献

  • 三国史記