概要

クレオパトラとアントニウスの死後、オクタウィアヌスがエジプトをローマの属州として編入。ただし他の属州と異なり、皇帝の個人的領地として直轄統治され、元老院議員の入国すら禁じられた。エジプトの穀物はローマの食料安全保障の要であり、属州からの年間穀物輸出はローマ市の需要の約3分の1を賄った。

歴史的背景

プトレマイオス朝の滅亡は長期にわたるローマの影響力拡大の帰結であった。エジプトの富と穀物生産力は、いかなるローマ人政治家にとっても魅力的であり、最終的な併合は不可避であった。

地形・地理的特徴

ナイル渓谷とデルタの灌漑農地はローマ帝国の穀倉地帯として極めて重要であった。ナイルの毎年の洪水による肥沃化は安定した穀物生産を保証し、ローマ市民への穀物配給の約3分の1をエジプトが供給した。砂漠による自然の孤立が統治を容易にした。

歴史的重要性

3000年以上続いた独立したエジプト文明の終焉。以後エジプトは641年のアラブ征服まで約670年間ローマ(ビザンツ)の支配下に置かれた。ローマ帝国の経済基盤としてのエジプトの重要性は帝国の存続に不可欠であった。

参考文献

  • Bowman, A.K., 'Egypt After the Pharaohs'
  • Capponi, L., 'Augustan Egypt'