概要

三頭政治の一角クラッススが率いるローマ軍約4万が、スレナス将軍率いるパルティア軍約1万の騎馬弓兵に壊滅的敗北を喫した。パルティア弓兵は「パルティアン・ショット」(後退しながらの射撃)でローマ軍を消耗させ、クラッススを含む約2万人が戦死、1万人が捕虜となった。

歴史的背景

クラッススはカエサルとポンペイウスに対抗する軍事的栄光を求め、元老院の反対を押し切ってパルティア遠征を強行した。十分な騎兵と弓兵の支援なくメソポタミアの砂漠に進軍した。

地形・地理的特徴

カルラエ(ハッラーン)はメソポタミア北部の乾燥した平原地帯に位置する。見渡す限りの平坦な砂漠地形がパルティア騎馬弓兵の機動戦術に最適であり、ローマ歩兵軍団の防御陣形を無効化した。

歴史的重要性

ローマ史上最悪の敗北の一つであり、三頭政治の崩壊を加速させた。以後約300年にわたるローマとパルティア/ササン朝の東方国境紛争の幕開けとなった。ローマ軍団旗の喪失は大きな衝撃であった。

参考文献

  • Plutarch, Life of Crassus
  • The Roman Eastern Frontier (D. Kennedy)