概要
第二次ポエニ戦争でカルタゴの名将ハンニバル・バルカが、歩兵・騎兵・戦象を率いてアルプスを越えイタリアに侵入。紀元前216年のカンナエの戦いでは約5万のカルタゴ軍が約8万のローマ軍を完全包囲し殲滅。ローマ側の死者は約5万とされ、古代最大の一日の戦死者数を記録した。
歴史的背景
第一次ポエニ戦争(紀元前264-241年)の敗北と賠償金の重圧、シチリアとサルデーニャの喪失がカルタゴの復讐心を駆り立てた。ハンニバルの父ハミルカルがイベリア半島に新たな勢力基盤を築き、息子にローマへの復讐を誓わせたとされる。
地形・地理的特徴
ハンニバルはイベリア半島からピレネー山脈、ローヌ川を越え、アルプスの峠(おそらくクラピエ峠またはトラヴェルセット峠)を越えてイタリアに侵入した。カンナエの戦場はアプーリア平原の開けた農地で、ローマ軍の大軍を包囲殲滅するのに適した地形であった。
歴史的重要性
カンナエの戦いは戦史上最も完璧な包囲殲滅戦として知られ、後世の軍事指導者(シュリーフェン計画等)に絶大な影響を与えた。ハンニバルはイタリアに15年滞在したが最終的にはローマを屈服させることができず、スキピオの反攻を招いた。
参考文献
- Goldsworthy, A., 'The Fall of Carthage'
- Daly, G., 'Cannae: The Experience of Battle in the Second Punic War'