概要

コソボのアルバニア系住民に対するセルビアの弾圧に対し、NATOが1999年3月から78日間の空爆を実施。国連安保理の承認なしの武力介入は国際法上の議論を呼んだ。ミロシェヴィチは撤退を受け入れ、コソボは国連の暫定統治下に置かれた。2008年に独立を宣言。

歴史的背景

ミロシェヴィチがコソボの自治権を1989年に剥奪して以来、アルバニア系住民は平和的抵抗(ルゴヴァの非暴力路線)を続けていたが、1996年頃からコソボ解放軍(UCK/KLA)による武装闘争が始まった。ランブイエ交渉の決裂後にNATOが介入した。

地形・地理的特徴

コソボはセルビア南部の盆地で、シャール山脈とプロクレティエ山脈に囲まれている。アルバニア系住民が約90%を占める地域で、セルビアにとっては中世の聖地(コソボの戦い1389年)であった。

歴史的重要性

国連安保理の承認なしの「人道的介入」の先例として国際法・国際関係論に大きな議論を提起した。ボスニアの教訓から迅速な介入が行われたが、主権と人権の対立という根本的問題は未解決のままである。コソボの独立の国際的承認は分かれている。

参考文献

  • ティム・ジューダ『コソボ 戦争と復讐』