概要

ボスニアの独立宣言を機に、セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人(ムスリム)の三つ巴の民族紛争が勃発。サラエボの1,425日間の包囲(近代史上最長の首都包囲戦)、スレブレニツァ虐殺(1995年7月、8,000人以上のムスリム男性殺害)など、冷戦後ヨーロッパ最悪の人道的危機となった。

歴史的背景

ティトー死後(1980年)のユーゴスラビア連邦の解体過程で、ミロシェヴィチの大セルビア主義とスロベニア・クロアチアの独立要求が衝突した。ボスニアの三民族の混住状態が「民族浄化」の標的となった。

地形・地理的特徴

ボスニアの山がちな地形はセルビア人勢力の包囲戦術に有利であった。サラエボはディナル・アルプスに囲まれた谷間に位置し、周囲の丘陵からの狙撃と砲撃にさらされた。

歴史的重要性

冷戦後の「新しい世界秩序」の楽観論を打ち砕いた紛争であり、約10万人が死亡した。NATOの空爆介入(1995年)とデイトン合意が紛争を終結させたが、民族間の分断は現在も続いている。「ジェノサイド」の認定(スレブレニツァ)は国際刑事司法の発展に寄与した。

参考文献

  • ノエル・マルコム『ボスニア 短い歴史』