概要

アレクサンドロス大王がダレイオス3世に最終的な決定的勝利を収めた会戦。ペルシャ軍は鎌付き戦車200両を含む約20万(諸説あり)の大軍を展開。アレクサンドロスは斜行戦術で右翼から突破口を作り、ヘタイロイ騎兵でダレイオスの本陣を直撃。ダレイオスは再び逃走し、ペルシャ帝国は事実上崩壊した。

歴史的背景

イッソスの敗北後もダレイオスは帝国東部の資源を動員して再軍備。講和提案をアレクサンドロスに拒否され、メソポタミアの平原で決戦に臨んだ。アレクサンドロスはエジプトを征服しアモン神殿で神託を受けた後、この戦いに向かった。

地形・地理的特徴

ティグリス川東方の広大な平原。ダレイオス3世は戦場の地面を平坦に整地し、戦車と騎兵の展開に有利な条件を作った。しかしアレクサンドロスの斜行陣形がこの地形的優位を無効化した。現在のイラク北部モスル近郊に位置する。

歴史的重要性

アケメネス朝ペルシャ帝国の事実上の終焉をもたらし、アレクサンドロスの世界帝国が成立した。バビロン、スーサ、ペルセポリスが無血開城または征服され、ギリシャ文化が東方に拡散するヘレニズム時代の幕開けとなった。

参考文献

  • アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』
  • クルティウス・ルフス『アレクサンドロス大王伝』