概要
ティミショアラでの反政府デモへの弾圧を機に、12月21日のブカレストでの親政権集会中にチャウシェスクへの野次が飛び、集会は反政府デモに転じた。軍が民衆側に転じ、チャウシェスク夫妻はヘリコプターで逃亡したが逮捕され、12月25日に即決裁判で銃殺された。
歴史的背景
チャウシェスクの個人崇拝独裁は東欧で最も抑圧的な体制の一つであった。対外債務の完済のために国民を飢餓に近い状態に置き、秘密警察セクリターテが社会を監視していた。東欧革命の波の中で唯一暴力的な体制転換となった。
地形・地理的特徴
ブカレストの共和国宮殿前広場がチャウシェスクの最後の演説とその崩壊の場であった。ティミショアラの街路でデモ隊への発砲が革命の発端となった。チャウシェスクが建設した巨大な「国民の館」が独裁の象徴であった。
歴史的重要性
東欧革命で唯一の暴力的革命であり、約1,100人が死亡した。しかし「革命」の実態は旧共産党内の権力闘争であった面もあり、イリエスク率いる救国戦線が権力を掌握した。チャウシェスクの処刑映像は独裁者の末路の象徴として世界に衝撃を与えた。
参考文献
- ピーター・シアニ=デイヴィス『ルーマニア革命 1989年12月』