概要

1976年3月24日、ホルヘ・ビデラ将軍率いる軍がイサベル・ペロン大統領を追放し「国家再編過程」と称する軍事政権を樹立。左翼ゲリラ(モントネーロスやERP)のみならず、労働組合活動家、学生、知識人、ジャーナリストを「破壊分子」として組織的に拉致・拷問・殺害した。推定3万人が「失踪者」(デサパレシドス)となった。コンドル作戦により南米諸国の軍事政権間で情報共有と越境弾圧が行われた。「五月広場の母たち」が子供の消息を求めて毎木曜日にデモを行い、国際的注目を集めた。

歴史的背景

1960-70年代のアルゼンチンはペロニスモをめぐる政治的分極化が深刻であった。1973年にペロンが帰国・再び大統領に就任したが翌年死去。後継のイサベル政権下でAAA(アルゼンチン反共同盟)による右翼暴力と左翼ゲリラの武装闘争が激化し、社会は暴力の連鎖に陥っていた。軍部は「西洋キリスト教文明の防衛」を掲げ、米国の冷戦戦略と呼応してクーデターを実行した。

地形・地理的特徴

ブエノスアイレスはラプラタ川河口のパンパ平原に位置する大都市である。軍事政権は市内の海軍機械学校(ESMA)を秘密拘禁・拷問センターとして使用した。パンパの広大な平原と大西洋は「死のフライト」の舞台となり、拘束者が軍用機から海中に投棄された。パタゴニアやアンデス国境地帯にも秘密収容所が設けられ、国土の広さが弾圧のネットワークを支えた。

歴史的重要性

ラテンアメリカにおける国家テロの最も凄惨な事例の一つ。1985年の軍事政権幹部への裁判はラテンアメリカで初めて旧軍事政権指導者を法的に裁いた画期的事例となった。「失踪」という手法は国際人権法の発展に大きな影響を与え、強制失踪に関する国際条約の制定につながった。五月広場の母たちの運動は世界的な人権運動のモデルとなった。

参考文献

  • CONADEP, 'Nunca Más'
  • Marguerite Feitlowitz, 'A Lexicon of Terror'