概要
35カ国(米加を含む全ヨーロッパ、ただしアルバニアを除く)が「ヘルシンキ最終文書」に署名。国境の不可侵性(第1バスケット)、経済協力(第2バスケット)、人権と基本的自由(第3バスケット)の三つの柱からなる。ソ連は第二次大戦後の国境承認を得た代わりに、人権条項を受け入れた。
歴史的背景
デタント(緊張緩和)の最高潮の中で実現した東西間の包括的合意であった。ソ連は戦後の国境線の国際的承認を得ることを最優先とし、人権条項は形式的なものと考えていた。
地形・地理的特徴
ヘルシンキのフィンランディア・ホールで欧州安全保障協力会議(CSCE)の最終文書が調印された。バルト海に面するフィンランドの首都は、東西の中間に位置する中立国として会議の場にふさわしかった。
歴史的重要性
人権条項(第3バスケット)は東欧の人権活動家(チェコスロバキアの「憲章77」、ソ連のモスクワ・ヘルシンキ・グループ)に国際的な法的根拠を与え、共産主義体制の正統性を内側から掘り崩す道具となった。冷戦終結に貢献した「予想外の効果」として評価されている。
参考文献
- マイケル・コットニー『ヘルシンキ効果 国際規範、人権、冷戦の終結』