概要
1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍率いる軍部がサルバドール・アジェンデ社会主義政権を転覆するクーデターを実行した。空軍が大統領府モネダ宮殿を爆撃し、アジェンデはラジオで最後の演説を行った後、宮殿内で死亡した(自殺とされる)。軍事政権は国会を解散、政党を禁止し、全土に戒厳令を敷いた。サンティアゴ国立競技場は政治犯の収容所に転用され、数千人が拘束・拷問された。著名な犠牲者にはフォルクローレ歌手ビクトル・ハラが含まれる。
歴史的背景
1970年に世界初の自由選挙による社会主義政権として誕生したアジェンデ政権は、銅鉱山の国有化、土地改革、賃金引き上げを推進した。しかし米国ニクソン政権とキッシンジャー国家安全保障担当補佐官はチリの社会主義化を阻止すべくCIAを通じた経済撹乱工作(「経済を叫ばせろ」)を展開。銅価格下落、物資不足、インフレの深刻化が社会不安を高め、軍内部のクーデター計画を側面支援した。
地形・地理的特徴
サンティアゴはアンデス山脈とチリ海岸山脈に挟まれた中央盆地(バジェ・セントラル)の標高約520メートルに位置する。大統領府モネダ宮殿は市中心部のアラメダ大通りに面し、クーデター当日は空軍のホーカー・ハンター戦闘機による爆撃の標的となった。南北に細長いチリの地形は軍による全土制圧を地理的に容易にし、国境のアンデス越えは亡命者にとって困難な障壁となった。
歴史的重要性
冷戦期における米国支援の軍事クーデターの象徴的事例となった。ピノチェト政権は17年間続き、約3000人が殺害・失踪、数万人が拷問を受けた。同時にシカゴ学派経済学者を招いた新自由主義経済改革の実験場となり、後のレーガン・サッチャー時代の経済政策に影響を与えた。民主化後の真実和解委員会は移行期正義のモデルとなった。
参考文献
- Peter Winn, 'Weavers of Revolution'
- National Security Archive, 'Chile Documentation Project'