概要
フランスが1966年から1996年までの30年間に、ムルロア環礁とファンガタウファ環礁で合計210回の核実験(大気圏内46回、地下164回)を実施した。1995年のシラク大統領による核実験再開は国際的な非難を浴び、ニュージーランドとオーストラリアが先頭に立って抗議した。グリーンピースの抗議船レインボー・ウォリア号がフランス情報機関に爆破される事件(1985年)も発生した。
歴史的背景
フランスはドゴール大統領の下で核抑止力の独自保有(フォルス・ド・フラップ)を推進し、アルジェリア独立(1962年)でサハラ砂漠の実験場を失った後、太平洋の海外領土を新たな実験場とした。冷戦期の核軍拡競争と大国の威信がフランスの核実験継続を正当化したが、太平洋島嶼国や環境運動からの反対は一貫して強かった。
地形・地理的特徴
南太平洋のトゥアモトゥ諸島南東部に位置する環状珊瑚礁。タヒチから約1200キロ南東の絶海の環礁で、直径約28キロの環礁湖を囲む低平な珊瑚島からなる。珊瑚礁の地下構造は核実験の衝撃を吸収すると想定されたが、地下核実験による亀裂や放射性物質の漏洩が後に確認された。
歴史的重要性
太平洋島嶼地域の反核運動を国際的に拡大させ、1985年のラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)の締結を促した。ニュージーランドの反核政策(1984年)とANZUS同盟の事実上の停止にも影響を与えた。放射能汚染による健康被害はフランス領ポリネシア住民に深刻な影響を残し、2010年代にフランス政府による補償が始まった。
参考文献
- Danielsson, B. & M.T. 'Poisoned Reign: French Nuclear Colonialism in the Pacific' (1986)
- Maclellan, N. & Chesneaux, J. 'After Moruroa' (1998)