概要

1961年4月17日、CIAが訓練・装備した約1400名のキューバ亡命者部隊(旅団2506)がピッグス湾に上陸侵攻した。ケネディ大統領が直前に航空支援を縮小したこともあり、カストロ軍の迅速な反撃に遭い、72時間以内に壊滅的敗北を喫した。114名が戦死、約1200名が捕虜となった。捕虜は後に5300万ドル相当の食料・医薬品と交換で釈放された。事件前の4月15日にはキューバ空軍基地への先制空爆が行われたが不十分に終わった。

歴史的背景

キューバ革命後、カストロ政権は農地改革と米国企業の国有化を進め、米国との関係が急速に悪化した。アイゼンハワー政権末期にCIAが亡命キューバ人の軍事訓練を開始し、ケネディ政権がこれを引き継いだ。しかしケネディは米国の直接関与の露呈を恐れ、航空支援と海軍支援を制限した。この中途半端な介入が作戦失敗の主因となった。

地形・地理的特徴

ピッグス湾(バイア・デ・コチーノス)はキューバ南岸中部のサパタ湿地帯に面した入り江である。広大なマングローブ湿地と珊瑚礁に囲まれた上陸地点は、退路を断たれやすい地形であった。沼沢地が内陸への進撃を阻み、狭い道路のみが内陸部へのアクセスルートとなっていた。カストロ政権はこの地理的制約を利用し、侵攻部隊を海岸に封じ込めることに成功した。

歴史的重要性

米国外交史上最大の失態の一つとされ、ケネディ政権の威信を大きく損なった。カストロ政権の正統性と国内的支持を逆に強化し、キューバのソ連接近を加速させた。この失敗が翌年のキューバ危機の遠因となった。ラテンアメリカにおける米国の介入主義に対する批判を国際的に高めた。

参考文献

  • Jim Rasenberger, 'The Brilliant Disaster'
  • Peter Kornbluh, 'Bay of Pigs Declassified'