概要
1960年、日米安全保障条約の改定をめぐり戦後最大の大衆運動が展開された。岸信介首相が5月20日に衆議院で新安保条約を強行採決すると、反対運動は安保改定反対から民主主義擁護へと性格を変えた。6月15日の全学連主流派の国会突入で樺美智子が死亡。アイゼンハワー大統領の訪日は中止され、岸内閣は退陣した。
歴史的背景
旧安保条約の不平等性を是正する改定であったが、岸首相の強行採決が国民の怒りを招いた。岸の戦前経歴(A級戦犯容疑者)への不信、冷戦下の平和運動の高まり、労働運動と学生運動の連帯が背景にあった。
地形・地理的特徴
国会議事堂周辺が闘争の中心舞台となった。永田町・霞が関の政治中枢は、数十万人のデモ隊で埋め尽くされた。東京大学をはじめとする大学キャンパスも運動の拠点であった。6月15日には東大生の樺美智子がデモ中に死亡した。
歴史的重要性
戦後民主主義の試金石となった出来事で、議会制民主主義と直接行動の関係が問われた。岸退陣後の池田勇人内閣は「所得倍増計画」を掲げ、政治の季節から経済の季節への転換が図られた。以後の革新運動にも大きな影響を与えた。
参考文献
- 『安保闘争』高畠通敏
- 『60年安保』吉本隆明