概要
1955年5月14日、ソ連と東欧7カ国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア)がワルシャワ条約に調印。NATOに対抗する東側の集団安全保障体制として、ソ連軍最高司令部の統一指揮下に各国軍を統合した。実態としてはソ連の東欧支配を正当化する機構であり、1956年のハンガリー動乱、1968年のチェコスロヴァキア侵攻で加盟国への軍事介入に利用された。
歴史的背景
西ドイツのNATO加盟(1955年5月)が直接の契機となった。それ以前からソ連は東欧諸国と二国間軍事協定を結んでいたが、NATOの拡大に対抗して多国間同盟を制度化する必要が生じた。スターリンの死後(1953年)、フルシチョフ体制下でソ連の東欧政策が再編される中での設立であった。
地形・地理的特徴
ポーランドの首都ワルシャワで条約が調印された。東ヨーロッパの広大な平原地帯は、歴史的に東西からの軍事侵攻の通路となってきた。北ヨーロッパ平野はバルト海からウラル山脈まで連続し、機甲部隊の展開に適した地形であることが、東西両陣営の軍事同盟形成の地政学的背景であった。
歴史的重要性
冷戦の軍事的二極構造を制度的に確定させた。ブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)の武力的裏付けとなり、東欧諸国の主権を実質的に制約した。1989年の東欧革命により存在意義を失い、1991年7月1日にプラハで正式解散。その解体は冷戦終結の象徴的出来事であった。
参考文献
- Mastny & Byrne, A Cardboard Castle? An Inside History of the Warsaw Pact
- Holloway, The Soviet Union and the Arms Race