概要

1946年5月3日から1948年11月12日まで、A級戦犯28名が「平和に対する罪」「人道に対する罪」「通常の戦争犯罪」で起訴された。東条英機元首相ら7名に死刑、16名に終身禁固刑が言い渡された。インドのパール判事は全員無罪の少数意見を述べた。裁判の法的正当性をめぐっては「勝者の裁き」との批判がある。

歴史的背景

ニュルンベルク裁判に続く国際軍事裁判として設置。連合国11カ国の判事で構成された。「平和に対する罪」は事後法であるとの批判、天皇の戦争責任が問われなかったことへの疑問、ソ連の参加の矛盾など、多くの問題を孕んでいた。

地形・地理的特徴

裁判は市ヶ谷の旧陸軍士官学校(現防衛省)の大講堂で行われた。かつて日本陸軍の中枢であった場所で、その指導者たちが裁かれるという象徴的な意味があった。二・二六事件の軍法会議もこの場所で行われていた。

歴史的重要性

戦後の国際法における戦争犯罪・人道に対する罪の先例となった。日本国内では「東京裁判史観」をめぐる歴史認識の対立が今日まで続く。パール判決書は日本の保守派に影響を与え、戦後の歴史修正主義の論拠の一つとなった。

参考文献

  • 『東京裁判』日暮吉延
  • 『パール判事』中島岳志